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オリックスバファローズを応援です。いろいろと書きますが、ORIXが勝てば、日常生活も楽しいという単純人間のブログです。

不世出の速球王 平井正史

平井正史、オリックスが優勝したときの豪腕投手です。現在の一軍投手コーチです。
速いだけでなく、恵まれた体格からの迫力のある投球は、今後10年オリックスのエースは決まりという雰囲気がありました。
シーズン後に、ロッテのバレンタイン監督がインタビューされていて、アメリカに連れて帰りたい日本の選手を3人あげるならとの質問で、即座に「イチローと平井は誰でもほしいだろう」と答えていました。



1995 平井正史 3 自己最速157km 155km超連発  ブライアント2三振


この動画では、7回から10回までの4イニングを投げています。
2年目の’95年は、ストッパーとして活躍して、15勝5敗27セーブの成績。最優秀救援投手、最高勝率、新人王。あと1勝で最多勝も獲得するところでした。


しかし、動画でもあるように、リリーフで4回、5回投げることもあり、翌日連投もしてまいした。今では考えられない完全な登板過多でした。いわば労働基準法違反です。シーズン終盤にはすでに疲労が見られました。グリーンスタジアム神戸の外野席でも、「投手平井」とコールされると歓声に混じって、「投げすぎ、かわいそう」という声も聞こえていました。結果、日本シリーズではボールが走らず、打ち込まれています。翌’96年も速球は戻ることはなく、ストッパーは鈴木平に譲り、もともと直球とカーブだけの投手で、技巧派に転向もできず精神的にも切れてしまったように感じました。


当時、山田久志コーチは先発として育てる予定でしたが、仰木彬監督はストッパーで起用。それは成功しますが、まだフォームも完成していない2年目には連投は酷でした。山田コーチは酷使を止めたようですが、勝負師の仰木監督は許しませんでした。


その後、山田久志監督の中日にトレードされ、山田監督の下で復活を遂げます。落合監督になってからも、中継ぎとして重宝されていました。しかし、あの速球が戻ることはありませんでした。



仰木彬の先を見ない起用に潰された大器
平井投手を育成段階とし、トレーニングを積ませていれば、イチローとともに海を渡る選手になっていたと思います。神戸に優勝を届けてくれた仰木監督ですが、功罪があります。私にとって、オリックスの中継、抑え投手を潰すイメージはここから来ています。昨年の山本由伸にははらはらしながら見ていました。平井コーチがご自身の体験を踏まえてオリックスの中継ぎ陣の起用方法を確立してくれるものと願っています。