寝ても覚めてもORIX

オリックスバファローズを応援です。いろいろと書きますが、ORIXが勝てば、日常生活も楽しいという単純人間のブログです。

【ORIX】阪神大震災、あれから25年

あれから25年。早かったのでしょうか、遅かったのでしょうか。ともかく、ここまで生きることができました。

1995年(平成7年)1月17日5時46分 

まだ眠る町にそれは突然やってきました。神戸をおそった震度7。記録では10秒間。それは無限の時間のように思えました。その後の静寂。何が起きたかなど考えることすらできません。町明かりが全て消えた本当の闇。家の中では棚が倒れ、窓ガラスの破片が散乱している様子、明るくなるまで動かないようにとの父の声。
電池でラジオをつけると「地震がありました。奈良県で食器棚が倒れて食器が数枚割れた被害が出ています」と流れていたのを覚えています。


数日後、東京に行かなくてはならず、大阪まで徒歩で歩き新幹線に乗りました。東京につくと知り合いは、気を遣い、たくさんの物資をいただいて帰りました。ただ、電車で女子高生が「震災番組で、笑っていいともが中止になった。最悪~。」「地方の地震なんてどうでもいいよねぇ」としゃべっているのを聞いて愕然としました。


そこからの日々は、阪神間に暮らす方々にとって、様々な物語があるでしょう。震災を経験されたと聞くと誰でも、よくここまで生きてこれましたね。と言いたい気持になります。

神戸での開幕戦開催

震災から2ヶ月、グリーンスタジアム神戸近くの地下鉄は動いていたと思いますが、三宮~板宿あたりまではまだ止まっていたと記憶しています。そんな状態で、神戸での開幕戦は開催されました。開催自体が奇跡でした。開幕戦は超満員だったそうです。開幕投手の
佐藤義則投手を皆がテレビで見守っていました。無性に感動してきました。相手チームのロッテの小宮山投手だったと思いますが、気遣う言葉にも感動しました。

そして25年後

ある有名な建築家は、震災数日後に神戸を訪れ、この町はもう復旧できないと思ったそうです。そんな町が、震災前よりも立派によみがえっています。
25年経ち、あのとき頼もしかった父も他界しました。周りも震災後に生まれた人、引っ越して来た人、震災を知らない人の方が多くなっています。

そんな中、今日は伊丹は昆陽池の追悼イベントに行ってきました。当然ながら、このイベントも25回目。苦労の末、継続されているようです。参加されている人の数も、早朝ということもあってか、少しさみしいです。これからは人の記憶の風化との戦いになると思います。震災を知らない世代にいかに語り継いでいくか。

オリックスは続く

震災から25年は、オリックスが優勝から遠ざかった年数と同じです。
震災のオリックスブルーウエーブというチームもなくなりました。震災復興の象徴的な存在でした。イチローも引退会見で、神戸にチームがあれば帰ってきかもと言っていました。さみしいのはさみしい。しかし、前を向かないといけない。オリックスは続きます。オリックスバファローズとして。