寝ても覚めてもORIX

オリックスバファローズを応援です。いろいろと書きますが、ORIXが勝てば、日常生活も楽しいという単純人間のブログです。

【ORIX】「失敗と書いて、せいちょうと読む」

野村克也さんのご冥福をお祈りいたします。


私は野村さんの現役を見たことがあります。あれは大阪球場で、西武に所属されていました。正捕手ではなく、正捕手が打席に立った後、防具をつけるまでの間、ピッチングの相手として出てきました。南海ファンからは、「ノムさ~ん」の声援が。野村さんは手を振って応えていました。
南海でプレーイングマネージャーを9年務めた後に、選手としてロッテ、西武を渡り歩いた最後の年だったようです。当時の私にはその境遇なども知るよしもありません。しかし、子供心に出場選手以上に印象づけたのは、野村さんの偉大さ故だと思っています。


福本さんと佐竹コーチ

オリックスキャンプでも、福本臨時コーチがインタビューされていました。世界の盗塁王と生涯一捕手ですから、因縁です。嫌がらせを受けたと話しつつ、尊敬している様子。当時の選手の人間関係が垣間見えました。


もう一人、意外な人が影響を受けていました。

先日、考える指導をするコーチとして取り上げた佐竹コーチです。「結果はコントロールできないので、準備をしっかりする。」というのは、すべての一流選手に通じると思います。その場面で打てるかどうかなど、一流であろうがコントロールできません。それよりも、万全の準備をして、成功する確率を少しでも上げること。イチローに通じます。
佐竹コーチが考える指導をしているのが頷けます。


1995年の日本シリーズ

震災の年のリーグ優勝。その勢いで挑んだ日本シリーズで立ちふさがったのが、野村ヤクルトです。ID野球の全盛期で、イチローをシリーズ前の口撃から、シリーズでの内角攻めとあの手この手を使って、封じ込められました。1勝しただけでした。調子を上げる前に逃げ切られました。あれがあったから翌年の日本一があり、イチローの成長もあったのだと思います。しかし、あの年は憎らしい監督でした。


プロ野球に理論を持ち込み、日本独自の進化をさせた方だと思います。それでいて、本人は非常に熱い方のようです。野村さんがいたから、日本の野球は今の野球になっている。それは間違いないでしょう。伝説の人物がまた一人去ってゆきました。